怠惰な青年は恵まれていた。
彼はまず家に恵まれていた。際限なくお金が使えるわけではなかったけれど、運動がしたいと言えば彼の望むクラブチームに所属することができ、成績が悪ければ塾に通うことができた。誕生日とクリスマスには親からプレゼントをもらい、月々に500円のお小遣いをもらって、小学校に通っていたのだ。
彼の怠惰は既に始まっていた。親から与えられた通信教育の教材をやらず、クラブチームで課せられた練習もしなかった。彼は努力することをしなかった。
残念なことに、彼は努力しなくても勉強ができてしまった。彼曰く「塾でやらされていた」というだけで充分に点数をとれてしまっていた。また、彼にとってクラブチームでレギュラーになれないことはまったく苦でなかった。
怠惰な生活は中学生も続いた。
元々他人に馴染めていない彼の性格は歪みに歪み、普段から教師の反感も買っていた。小学生の時と違うのは、教師の心象が成績に響くことだった。彼は成績優秀な嫌われ者だった。
そんなわけだから、彼は学力的に中堅の高校に通うことになった。
既に地の底まで落ちている彼の人徳だが、ここからは自ら下に掘り進むことになる。
怠惰な彼は塾に通わなくなった。高校で入った部活が忙しかったからである。
塾以外で勉強をしなかった彼は、そのまま勉強をしなかった。「忙しい部活」でレギュラーを取るための努力もしなかった。
彼はほぼ無意味な3年間を送ったのだった。
それでも彼は恵まれていた。救いの手はいくつも差し伸べられていたし、過ちに気付く機会もたびたびあった。
それでも彼は怠惰だった。
歪んだ性格が紆余曲折を経て、ある程度道と呼べるものに矯正された。
彼は他人とうまく折り合いをつけながら、あるいは諦められながら、上手に怠惰であり続けた。
今、怠惰な彼は過ちに気付いている。
しかし彼は怠惰をやめることができない。
彼は努力をすることができない。
恵まれた青年は青年でなくなりかけている。
彼が死をもって完成とする人生には、既に失敗の烙印が押されている気がしてならない。