どうもご無沙汰しております。半月ほど前に「毎日更新できるんじゃないかな」みたいなことを言っていた調子こき野郎のなすです。
毎回文体が安定しないんだよな。
さて、今年の抱負を書いたブログを投稿すると言って、結局投稿されないままに1年の6分の1が終わりましたね。
今も下書きに埋もれています。申し訳ない。
週1程度になってしまっているのは、忙しいからではないんです。一応、下書きにはいくつか記事があるんです。
僕は、時事ネタを扱った記事はできるだけ早く投稿し、それ以外の記事は時事ネタがない日に投稿しています。……いないんだけども、そういうつもりです。これは昔から。
たとえば、平昌五輪について書いた記事や、大杉漣さんの訃報、ビリー兄貴の訃報など。これらの記事も書きました。
なぜ投稿しなかったのかというと、質が気になったからです。
ここ最近、記事を書いては消し、書いては消しを繰り返していました。
以前も言ったかもしれませんが、「他人の評価などどうでもいい」「どうせやるなら評価されたい」「できるだけ多くの人に見てもらいたい」「自分が楽しければいい」「少しでも人のためになったらいい」「少しでも人を笑わせられたらいい」「もっと面白くなりたい」と一部矛盾した思いを持っています。
これらがわからなくなって、自分を見つめ直したくなる時期が周期的に来ます。
性格診断をすると「向上心が足りない」「思いやりが足りない」と言われるのですが、これを痛感しました。
僕は「評価されたい→だから努力をする」にならず、「評価されていない→だからどうでもいい」になりがちなのです。
おまけに、努力が足りないから質が悪いのは当然なのに、質が気になりだすんですね。
この時期が過ぎると、「何もしないと何も良くならないから、とにかくやろう」となります。確かにそうなんですけど、実は罠。良くなろうと思って努力をしない(惰性で行っている)から、質の悪いものが量産されます。
これがループするんですね。
脱却できるタイミングはあって、何かしらの拍子に評価されたときです。
たとえば、正月頃にバーチャルYouTuberの記事などが当たって、このブログの読者数が増えたとき。
たとえば、Twitterで投稿したひとつのツイートが多くの見知らぬ人たちにRTされ、いいねされたとき。
僕はちょっとやる気が出ます。
なお、成果は出ません。
そうして、元に戻る。
誰か助けてくれ。
僕のTwitterをフォローしている稀有な方はわかると思いますが、YouTubeとニコニコ動画にそれぞれ別の動画を投稿しています。
その動画も上記のアレが適用されます。
結局、努力しないんですね。
ニコニコに至っては、投稿しては消し、投稿しては消し。
あああああああああああああああああ。
にとうさんと行っているYouTubeの方はまだマシです。他人が関わっていると、僕はもう少し頑張れるんですね。仕事に対する使命感に近いものがあるんでしょうね。
ただ、こちらはまだ振り切れてないんですね。もっと僕という人間を爆発させねばいけないのですが、遠慮しているんですね。本当、どうすればいいんだろうね。
「夢と目標は違う! 夢じゃなく目標を持て!」と高らかに説く人がいます。
努力ができる人、努力をする人は目標でいいでしょう。
僕は夢で良い。
僕の夢は、1年後、今よりも全てにおいて少しでも成長していることです。