厨学生日記

サブカルと創作、そして黒歴史、厨二病

桂歌丸さんの訃報に泣く

朝方、天皇陛下がお体を崩されたと聞いて、何事もないと良いがと思っていたところ。

夕方、歌丸師匠の訃報が飛び込んできました。思わず椅子にもたれかかったまま、天を仰ぎ、静かに涙を流しました。

落語はあまり嗜まないのですが、父親が大好きで、子供の頃に連れられて寄席を見に行ったことが何回かあります。成人してから、一度浅草の演芸場に行ったこともあります。

そうは言っても、日常に触れているものではございません。落語家の皆さんのお名前も、あまり存じ上げません。演目、一門など、落語の世界については本当に存じ上げません。

 

それでも桂歌丸さんのことは存じ上げておりました。

国民的人気番組「笑点」は誰しも知っているでしょう。

 

私、実は5代目三遊亭円楽さんの司会の時代を知りません。2006年の5月、桂歌丸さんに司会が変わりました。もちろん、すでに生まれているわけですが、笑点を見始めたのはそれ以降になります。

私の知っている笑点の司会は、桂歌丸さんとその後を継いだ春風亭昇太さんだけなのです。

 

過去の映像として、大喜利の回答者として歌丸師匠が答えている画面が映ります。

そのお姿は、私の知り得ないところでした。

落語家としてのお姿も、残念ながらその目で見ることは叶いませんでした。

 

多くの皆さんは目と耳に焼き付けているであろう、6代目円楽さんとの罵り合い、掛け合いは実に巧妙で、子供の頃にも分かりやすく面白いものでした。

私の祖父が歌丸師匠の年齢に近く、勝手な話ですが、テレビの中にいるおじいちゃんのような感覚でありました。

 

ああ、思い出せば思い出そうとするほど、悲しくなってたまりませんね。

言葉がうまく出てこず、文章として成り立っていないような気もしますが、ご了承ください。

 

似たような話なのですが、子供の頃、父親の影響でドリフを DVD で見たのです。

数年経って、いかりや長介さんが亡くなられた時に、今と似たような感情を覚えました。

その時もあまり詳しくはなかったのですが、偉大なコメディアンがこの世を去る寂しさを、現実のものとして受け入れたくありませんでした。

 

いつかこの日が来るとは思っていましたが、そしていつなくなっても悲しくなるのだと分かっていましたが……言葉がもう出てきませんね。

音声入力で書いているのですが、いよいよ続きの言葉が口から出てきません。

 

お疲れ様でした。大好きでした。

歌丸師匠のご冥福をお祈りいたします。