2018年10月、ブログに記事を5つしか投稿しなかった。この記事も含めて。
投稿しなかっただけで、それなりに書いていたんだけど。
それでも、今月は特に書く気が起きなかったなあ。
最近の僕は、ブログの更新について、深く考えていない。
1日1回でも、週に2回でも、月1でもいいんじゃないかな。量をこなさなくても、記事の質が良ければ人を集められるだろうし。はてなブログのトップページでも、新しく作られたブログの記事が載っていることもあるからね。
量をこなせば経験を得られるけど、量が全てじゃない。
質のための量なんだよ。
さて、それでも今までで一番更新が少ない月だった。これは事実。
ちょっと原因を探ってみよう。
・忙しかった
シンプルだが、これはある。
自由に使える時間を、上旬は携帯に、下旬は仕事に奪われていた。隙間時間は体力回復に当てていた。
創作活動はブログだけじゃないので、そちらに時間を使っていたのもある。
だけれども、これは言い訳のような気もする。
なぜなら、本当に削れる時間がないくらいに忙殺されていたわけじゃない。Twitter で呟くような余裕は間違いなくあったし、本も読んでいた。使える時間もあったのだ。
あくまで、他の月よりは忙しかっただけの話。
・創作活動の力が動画に注がれていた
YouTube で行っている動画投稿は、ある種の転換期だった。新方式の初月だったので、リソースをそちらに割かなければならなかった。
おかげで、今のところは順調である。僕個人の動画はともかく、プラマイは軌道に乗った。方針が定まると、マニュアル化して効率良く行える。それによる弊害もあろうが、今は気にしない。
それはともかく。
僕の活動意欲は偏りがあって、以前はブログに傾いていた。今回はそれが動画に向けられただけのことである。
従って、「やれなかった」ではなく「やらなかった」が正しい認識だろう。
ふむ。こんなところだろうか。
次は、やれなかった理由を否定しよう。
・記事の内容には困っていない
「書けることなんてないよう~」などと、さすがにもう言うまい。
ネタにはまったく困っていないし、むしろそのネタだけ誰かに提供して、僕の代わりに書いてほしいとさえ思う。
ただ、書いても納得のいかない記事になることが多い。実力不足、あるいは実力を上げようと努力している最中なのかもしれないが、投稿できないのでは仕方ない。
……あ、思い出した。
確かにネタはいくらでもあるが、可視化していなかったはずだ。今までであれば、書こうと思ったネタをメモに残していたはず。書き終わったらチェックを付けていたほどだ。
なぜそれをやめたのかというと、「書かなければならない」心理から脱却したかったのだ。思うまま、自然に書く。呼吸をするように書く。どんなものであれ、そんな境地に達すれば、実力がついているはずだ。
どうやら僕は、意外と追い込まれた方が書けるのかもしれない。残念ながら境地には至らなかったが、これは試す価値がある。
可視化。今までやっていたことの大切さを知った。
さてさて。
どうしたものかな。
実のところ、悩みもいくつかある。
その1。
僕は機械音痴(?)なので、いまいちブログのデザインを思い通りに弄れない。直観的なインターフェイスでないと、僕はうまく操れないのだ。
まだまだカテゴリや固定記事には改善の余地があるので、そこらへんのフットワークを軽くしたい。
その2。
僕は基本的に飽き症である。創作意欲に波があるのと同じように、ひとつの記事や動画を凝ろうとしても、途中で飽きてしまう。
そこで一旦置いておく……。この選択ができればいいのだが、僕はおざなりにまとめて、完成としてしまうのだ。
これを直したい。自分の努力しかないが、直したい。
疲れてしまった。書きたいことは書き切った。こういう日もあるさ。
もうちょっと頑張ってみよう。次の記事は、しっかり書きます。