厨学生日記

サブカルと創作、そして黒歴史、厨二病

一芸に秀でている人の方が素敵だと思う

一芸に秀でている人というのは、どうしてあれほど輝いているのだろう。

誰しも人に認められるような才能を持ちたいはずだ。

世間はバランスのとれた人間を好む。それは学校教育からして明らかだ。例えば、理科で100点を取れる人であっても、他の教科が低い水準であれば、理科の成績に見合う学校にはいけないのだ。彼が理科のみで大成するならば、学校ではない場所で活躍するほかはない。つまり選択が必要なのである。

いかにもこれが理不尽なように話してはいるが、学校という組織はある程度統率が取れていないと崩壊してしまうので、バランスに重きを置くのは頷ける話だ。また、規則から外れたことをするのであれば、それなりにリスクを負う必要がある。だからといって、頭ごなしに個性を叩くような風潮はよろしくない。

 

僕は大学至上主義に一定の懸念を覚えている。それでも、多くの人が義務教育の修了後に、高校、大学へと進学するのは事実だ。

小学校、中学校、高校では個性を潰し、大学の入学には平均かつ高い水準を要求するのに、就職の時には「個性を発揮しろ」と言われる。これはいかがなものだろうか。おまけに、入社後にはその個性を潰そうとするような会社だってあるのだ。

 

能力が足りない、選択ができない、リスクを負えない人間が、当然の結果に落ち着いているといえばそれまでなのかもしれない。ただ憂うだけで、人のせいにしているだけで、自分の力で脱却に至っていないと言われれば、僕は返す言葉もない。

 

だからこそ、必要なのは器用貧乏から脱却することだ。

何もできない人間よりも、ある程度なんでもできる人間の方がいいかもしれない。

しかし、ひとつだけ秀でた者がある人間より、ある程度なんでもできる人間の方がいいということはない。

本当に完全無欠でなんでもできるというのならそれでいいだろう。しかしそんな人間は存在しない。何かしらで差が出る。つまり個性がある。それなら、中途半端になんでもできるよりも、一つに打ち込むだけでいい(たとえそれ以外の選択がなかったとしても)人間の方がよっぽど幸せである。

 

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5月に書いたらしい文章です。読みにくいですね。たぶん眠いときに書いたんでしょう。

こういった、世間を憂う系の文章は眠いときに書きがちですから。

下書きにあったものを供養するつもりで、引っ張り出してきました。

 

しかし、言っていることは違っていない、と思います。同じ人間だから、当たり前ですけど。

 

僕自身、ネット上だけでも、ブログ、YouTube、niconico、他のサービスを少々と、かなり分散しています。

やりたいことがひとつだけで、それが秀でているのであれば、こうはならないでしょう。

 

マルチタレントは、います。

ですが、活動をひとつとして疎かにしている人は、いない。

なればこそ、中途半端に活動の手を伸ばしている自分が、いたたまれなくて仕方ないのです。

いつまでも悩み続けるのです。