厨学生日記

黄金色に輝く🍆を探して

ゲームの面白さに対する向き合い方

年齢を重ねてから、ゲームを子供のように楽しめなくなって、1日夢中になることも減ったなあと思うのです。いや、社会人なのだから、そんな調子で毎日を過ごしてはいけないのだけど。

なぜだろう? 昔のゲームは面白かったけど、今のゲームは面白くなくなった? いや、そんなことはありません。今の子供たちはとても面白がってゲームをしているけれど、彼らに昔のゲームを遊ばせても、数分で飽きてしまうでしょう。彼らにとっては、今のゲームが面白くて、昔のゲームはつまらないものかもしれない。それでも、昔のゲームを面白がっていた人たちもいるのですから、これは世間の面白さへのハードルが上がっただけで、あとは人それぞれの感じ方の違いがあるだけだとわかります。

今のゲームと比べれば、タイクツかもしれない。でも普遍的な面白さは持っている。

 

今やゲームはインターネットなしで成立しないと言っても過言でない時代で、SNSを歩けばネタバレに当たるゲーム社会になってしまいました。その是非はともかく、そういったネタバレの多さがゲームを楽しめなくなった要因なのだろうか。まあまあ、先を知っているゲームを遊ぶのは、面白さを失うような気もします、けれども、私は自分の気になっているゲームのネタバレを踏むようなマネはしていないので、今回の疑問の答えにはなりません。

ゲームに詰まったら、すぐにGoogleで検索して、攻略サイトのお世話になることが原因? あ、これは少し当たっている気がする。ほとんどのゲームというのは、お題を与えられて、それをクリアするときに快感が得られる仕組みになっています。大雑把に言えば、これがゲームの面白さのひとつですから、それを潰してしまうと面白くなくなるわけです。

と、こんな感じで、ゲームを取り巻く環境をベースに考えてみましたが、あまりしっくりとこない。

昔のゲームにも攻略本はあった。読んだらゲームがつまらなくなるのか?

 

今度は、私とゲームの関係に焦点を当てて考えてみます。

子供の頃は、いわゆる大型タイトルからゲームにハマりました。新作は値段が高かったので、旧作の中古をショップで漁っては、毎日遊んでいたものです。もちろん、新ハードのゲームは私の遊んでいた旧ハードの作品より、ずっと最新の技術と重厚なシナリオで作られていたのですが、それらと比較して面白いか、つまらないかと考えたことは一度もありませんでした。

さらに新しいハードに移って、私も歳をとりますから、自由に使えるお金も増えました。高校生になっても相変わらず中古市場を漁るのですが、この頃から買ったゲームの面白さを気にするようになりました。やっぱり比較はしませんが、このゲームはあまり面白くないなと思えば、前々から持っていたゲームを遊んで、また別のゲームを買うのです。これを繰り返して、今度は積みゲーの山を築くようになりますが、それはまた別のお話として。

現代のエンターテイメント産業では度々言われている問題ですが、昨今のユーザーには娯楽が飽和しています。つまり、ひとつの娯楽に見切りをつけて、新しい娯楽に目を向けるのが当たり前の時代になっているんですね。それはもう、とても速いスピードで。

実は、今回の結論を最初の方に言っていました。面白さのハードルが上がっている。感覚の麻痺。第一印象で得られる面白さやつまらなさに囚われることなく、ひたすら遊び、そうして面白さを見出す……その機会を失っていただけでした。

さあ、そうとわかれば対処は簡単です。自分の持っているゲームをとにかく遊びまくればいい! 特に、「周りのみんなが遊んでいるから買ったけれど、別にそこまで興味がないから放置している」ゲームを遊ぼう! そんなこんなで、今はひとつのゲームを50時間遊んでみようと、気楽に構えています。

 

あ、それともうひとつ、別のアプローチも始めました。

冒頭のあたりで「面白さは人の感じ方による」といった趣旨の文章を書きましたが、こうも書きました。ほとんどのゲームというのは、お題を与えられて、それをクリアするときに快感が得られる仕組みになっている──これはつまり、ゲームの普遍的な面白さ、言い換えれば、ゲームを面白く感じやすい法則は確かに存在するということです。

であるなら、このゲームはどうして面白いのだろう、どうして世間から面白いと評価されるのだろうといった見方をしてみるのも、楽しそうです。面白くなければ、こうすればもっと面白くなるかもしれない……なんて考えてみるとか。

ゲームディレクター・デザイナーの桜井政博さんの本に影響を受けている。最近はYouTubeも始められた。