理性的な文章ではない。
疲れやストレスが溜まって、どうしようもなくこぼれてしまった愚痴である。
ゆえに、一番いいのは聞き流してもらうことである。同調も反論もない方が、今の僕にとって幸せである。
と言いつつ、自己保身から入ろう。
僕は意外と社会派である……と、自分では思っている。
子供の頃から、同世代の人間よりも、政治や社会問題について考えてきた(はず)。
まったく知識がないわけでもない。
だから、今から話す内容が、ごくごく短期的な結論であると思ってほしい。
コンピュータで言えば、バグを起こしながら出した結論だ。そんなものは、定常で出される結論とかけ離れており、定常では「間違っている」とされる。
これから話すのは、そんなことだ。
はっきり言って、疲れた。
どこを見ても、男がどうだ、女がどうだ。育児、電車、性的志向……。
どこを見ても、ネトウヨがどうだ、パヨクがどうだ。税金、外交、不正……。
うんざりだ。
もう考えたくない。
偏った人間しかいないのか、この国は。
男女平等を謳う者どもが聞いてあきれる。どちらも、自分たちの主張に都合のいい男女平等を唱える。
右派、左派ともに正義を掲げ、自らの不正については触れない。他者の不正を指摘して、お互いに直すのではなく殴り合うだけ。生産性の欠片もない。皮肉な話ではあるが、確かに、今の政治は一部の国民性を色濃く表しているだろう。
少しだけ、僕の主張をしよう。
平等とは、目指されるべきものであっても、決して達成されるものではないと考えている。あまりに途方もない作業量だ。諦めるべきではないが、そればかりに固執してはいけない。それでは他が疎かになってしまう。
ただし、区別と差別の違いははっきりするべきだ。区別は許されるが、差別は許されない。それだけは守らなければならないと思う。
政治的主張は、本来ならばあまり言いたくはない。けれども、僕は基本的にどちらにも偏ってはいけないと考えている。それは視野が狭い。右派と左派、どちらかだけでは(僕の)理想から遠すぎる。
とまあ、これが僕の主張である。
そして僕は、良識ある他者の建設的な意見を、それなりに尊重しているつもりだ。
だが、もういい。
疲れた。
Twitter のせいである。というか、僕の使い方が悪い。
僕は、内容問わず極端に偏った意見を述べる Twitter の著名人を、その立場問わずブロックしている。
これは、それについて考えたくないときに、不意に目に入った場合、その意見を直情的に否定してしまうのが嫌だからだ。
何かしらの問題提起が行われた際、誹謗中傷をする者はともかく、ブロックしている人のツイートも見るようにしている。
極論は人を惹きつけるが、同じくらい人を弾く。だからこそ、落ち着いているときに受け入れることを試みたいのだ。
だが、最近はトレンドに男女云々、政治云々のツイートが載る。RTだのいいねだので流れてくる。関連のツイートがとにかく伸びる。
吐きそうだ。
わかるか、特に好きでもない濃厚豚骨スープとクソ甘ケーキを同時に口へ押し込まれる気持ちが。
……いや、何を言っているんだろう。
「見なきゃいいじゃん」
仰る通り。
だから僕は、ここしばらく Twitter とブログを必要最小限に留めている。一過性の病だと思って、治るまで他に好きなことをしているつもりだ。
ただ、この気持ちは残しておくべきだと思った。散々嫌気がさして、絶望した記録を残しておこうと思った。
思考停止だと笑いたければ笑うがいい。
僕は今まで歩いてきた。だが、止まらずに歩き続けるのは不可能だし、やってしまえば死んでしまう。
歩き続ける過程で、少しでも世界が良くなるといいな、なんて思っていた。
もはや他人のことなど知らん。今、僕は僕を大事にする。
まだいろいろと書きたかったが、本当に壊れそうだからここまでにしておく。