厨学生日記

黄金色に輝く🍆を探して

僕にも嫌いなブログ・ブロガーがいる

勘違いされるときがあるのだが、僕にも嫌いなブログ・ブロガーがいる。

あらかじめ言っておくと、この記事内で「○○が嫌いだ」と具体的な名前を出す気は毛頭ない。なので、「嫌いなものを一緒になって叩きたい」と思ってご覧になった方は、ここらでお帰りいただくことを強くお勧めする。

なぜなら、僕は「『嫌い』だから『叩く』」のを、これから否定するからだ。

 

大前提として、僕は「嫌い」と「苦手」を区別している。

「嫌い」は、それなりの敵意ないし悪意を抱く、つまり感情を表す単語だと考えている。

「苦手」は、多少の悪感情を抱きはするが、それは自らの性質によるものだと解釈するための単語だと考えている。

僕の感覚をうまく言語化できないのは、僕の不徳の致すところではあるが、言葉の強さあるいはジャンルが違うと解釈してもらえれば良いだろう。

 

僕には明確に嫌いなブログ・ブロガーがいる。

それとは別に、苦手なブロガーもいる。苦手なブログがあるわけではなく、苦手なブロガーがいるだけである。

 

僕にとって苦手なブロガーとは、端的に言えば、意識の高い方々である。

 

これは別に、「意識高い系」であるとか、普段から意識の高い方々であるとか、そういった話ではない。

ただ、ブログに対して情熱的であり、少しでも多くの人に見てもらおうと輪を広げようとするような方々のことである。

単に努力家を指しているのではない。文章の研鑽を怠らず、ひたすらにブログの質を上げようとするだけの人であれば、僕は苦手だと思わないだろう。

 

なぜ苦手かと言うと、僕にとってのブログとは、そういった対象ではないからである。

もちろん人に見られたいという欲求はあるが、人の輪を広げて見てもらうのは、僕の性に合わないのだ。

しかし、一切否定するつもりはない。人種が違うのだろうと思っている。そういった方向性の努力も、尊いと考えている。

向こうから押し付けられない代わりに、僕も押し付けてはならない。そんな性質の違いが「苦手」を生んでいる。

 

さて、冒頭に戻ろう。

勘違いされるときがあるのだが、僕にも嫌いなブログ・ブロガーがいる。

 

誰かと聞かれて、明確に答えるつもりはない。

だが、おそらくはてなブログに属している人間であれば、誰でもトップページで目にしたことがある……そんなブログ・ブロガーの一部を、僕は嫌っているのだ。

客観的な視点で見れば、ブログの質自体は高く、相応の価値を持っている。主張が僕と全く異なっているわけでもない。

 

では、なぜ嫌いなのか。

 

くだらないと笑うかもしれないが、彼の描く絵や、彼女の言葉遣いなど、非常に些細な部分から始まっているのだ。

 

嫌いの始まりは、それ以上うまく説明できない。

だが、人は「嫌い」だと認識してしまうと、対象を見る目にフィルターをかけてしまう。

つまり、「(私が嫌いな)それは、全てにおいて間違っている」と勘違いしがちなのだ。

もちろんこれは、それこそ大きな間違いである。

 

僕が彼らあるいは彼らの書いたブログを嫌う点、間違っていると思う点を列挙したとしても、おそらく僕の意見は否定されるだろう。

それは規模の大きさで封殺されるのではなく、論理的に考えた上で、僕の主張を否定できるのだ。それくらい辻褄は合わず、感情的な内容になるのだ。

 

押し付けてはならないのは、もちろんのこと。

リスクを考えれば、主張するのもやめたほうがいいのだ。

もっとも、これは主張するという行為を否定するわけではない。したければすればいい。僕はしないというだけの話。

 

言いたいことはすべて言ったのだが、結びが悪いので、余談を付けて締めるとしよう。

 

残念ながら、人々が「嫌い」を原動力に寄り添って声高に主張すると、それがあたかも真実であるように見られる事象が、この世の中にはたくさんあるのだ。