厨学生日記

黄金色に輝く🍆を探して

未だに可愛いものを可愛いと言えない

好きなものを好きと言えなかったり、可愛いものを可愛いと言えなかったり。

とにかく思春期には、そういったよくわからない捻くれた心を持ってしまうのです。もしかしたら男だけかもしれないけれど。

例に漏れず、僕は好きなものを好きだと言えなかったり、可愛いものを可愛いと言えなかったりした中学時代を過ごしました。

残念ながら、齢2Xにして未だ厨二病を患っていることを自称する僕ですから、高校時代も大学時代もよくわからない立場で過ごしてきました。

 

その原因はおそらくプライドが高いところにあります。

「僕はこんなもの好きじゃないんだ」

「これ、可愛い? まあ確かに一般的にはそうだろうね」

「好きか嫌いか、どちらかと言えば好きかな」

「あー、可愛いって言いたくなる気持ちはわかるよ」

……うーん、鬱陶しいですねえ。

 

おかげさまで「こいつ隠しているつもりだけどバレバレのオタクだよね」みたいな扱いを受け続けていました。

僕の学生時代では、今ほどオタク文化に対して寛容でなかったのです。

いわゆるオタク趣味は恥ずかしいものだとレッテルを張られていて、そういった人間は日陰者の扱いになりがちでした。

 

オタク趣味でありながらも日向で頑張ってきた人たちのおかげで、今では萌え系(既に死語か?)が当たり前に溢れています。

人々がそれを心の中でどう捉えているかはともかく、世間的に受け入れられるものになったのです。

好きなものを好きと言い、可愛いものを可愛いと言うのは良いことなのだと世間が証明してくれました。

そう、今は堂々と好きなものを好きと言える環境であり、可愛いものを可愛いと叫べる環境であるのです。

 

しかし、偏屈で凝り固まった人間の性分とは厄介なもので、理屈でわかっていても実行できない……というよりは、しないのです。

そんな人間は、陰から何も言わずに見ていることしかできないのです。

可愛さと言えば自分可愛さで、結局自分が好きなのでしょう。

哀れですね。

 

 

 

 

付録。

世の中ってのは素直な方が渡っていける。間違いなく楽に生きていける。

他人と自分を誤魔化し続けて生きてきた僕が言うのだから、間違いない。

ただ、自分可愛さに自分を好きでいられるのなら、それはそれで幸せなことでもある。

理想的なのは、素直に自分を好きになれることだ。

自分を好きになれ。なれないのなら努力しろ。

そんな努力ができる人間を、自分を、きっと誰もが好きになる。

 

……ああ、このポエムった文章を読んで、恥ずかしさに身悶える日がきっと来るんだろうなあ。

でも、僕は今、これは間違ってないと思うよ。