雑記系ブログ、日記系ブログに限った話……いや、意外とそうでもないか。
ブログを読むことの何が楽しいって、筆者の人生を垣間見えるからなんですよ。
これから言うことは全て、決して嫌味ではないのだが、テレビに映るような人じゃなくても、一般人でも、意外と人生は面白い。人の一生はそれだけでドラマだと僕は思う。
僕自身に人生は一度きりしかないが、本、映画など、何かしらに起こしてしまえば、僕はそれを通して一端に触れられる。追体験できる。
さて、多くの本が人生の一端を記したものであるが、本を出せるような著名人の一生ってのはなかなかに高級で、僕が味わっても筆舌に尽くしがたいところがある。
また、それに慣れてしまえば、ぼやけた頭で「そうかそうか」と頷きながら読み飛ばすようになってしまう。
その姿勢が哀れだと……もっと言えば、そういう自分を想像できてしまうあたりが情けないのだが、それはまた別の話。
便利な時代に生まれたものだ。
そこらへんを歩いている人は、自身の一生について語ってくれない。どんな考えをして、どうやって生きているのかを知ることはない。
けれど、今はインターネットで「そこらへんを歩いている人」が滔々と語ってくれている。それは僕に向けられた言葉ではないけれど、それでよい。むしろ、それがよい。
僕は嬉しいぞ。
くだらない言葉遊びが、知識が、雑談が頭を潤すあの感覚は、えも言われぬ美味。それをいくらでも味わえることに感謝する。
私は愚か者で良かった。そうでなければ、賢者の至言に感動することなどなかっただろう。
足りないのは時間です。なによりも時間なのです。
知識は金にも値する。知識を得る時間は、金よりも貴重なのです。
金は働けば手に入るが、時間は失うしかないのです。零れ落ちる時間を無駄にしないように、指と指の間から零れ落ちる時間を集めながら、知識を食うのです。
楽しいなあ。楽しくて良かった。
僕のブログを読んでいる人は楽しいのだろうか?
僕はブログを書いていて楽しいのだろうか。
願わくば、僕のブログの文章が、言葉が、文字が、どこかの誰かの頭の中で生きて、育って、いつまでも死なないでほしい。
そうすれば、僕はブログを書いていて楽しいと思えるだろう。
ブログを読むことの何が楽しいって、人間らしさが見られるからですよ。
少しだけ後ろめたい嬉しさは、僕という人間を知られずに、彼の者の人間を知ることができるところだ。
ああ、今日はなんだか一段と眠い。