厨学生日記

曖昧な哀の毎日

学生時代以来、再び本を読む習慣ができた

働くようになると、1日の8時間を労働に使う必要がある。また、潤沢な睡眠時間を確保するのに8時間必要として、残りの自由時間は8時間だ。

 

学生の頃はひたすらに自由な時間があるので、「○○のために時間を設けよう」と考えずに済んだ。気の赴くままにゲームをして、勉強をして、夜が来れば寝る生活を送っていた。

社会に出れば、そのような時間の使い方は失われてしまう。多くの人にとって、休日は貴重であるし、出勤前と退勤後の時間を有効に過ごさなければならない。

 

本を読むことがどれだけ人生の肥やしになるかは、言うまでもなく明らかだ。では、どのように読書の時間を作るかを考えなければならない。たとえば、通勤時間だったり、仕事の休憩時間だったり、誰かとの待ち合わせの時間潰しだったり。スマホにとって変わられた時間の使い方を読書に戻すだけで、Twitterの更新を無駄に行うより有意義な時間を過ごせる。

このブログも仕事の休憩時間に書いている。ゲームの周回をオートで放置しながら食事と読書を済ませ、SNSのチェックを終えたらブログを書く。そんな流れが毎日に生まれつつある。これがかなり楽しい。

 

僕は立場上知り合いから本を貸してもらう機会が多かったのだが、先日久しぶりに自分で買った1冊を読み切った(今回のサムネイル)。やはり自分の読みたいと思った本を読むほうがいい。他人から薦められる本も良書だろうが、自らの知的好奇心に勝るスパイスはない。

親や学校に強制される読書は楽しくなかった。贈り物として渡される本を読むのは特に憂鬱だった。あれは送り手側を喜ばせるために読むのであって、つまり送り手側は自分が喜ぶために送るのである。それに気付くとまったく読む手が進まなかった(大人になって振り返ると、素直に読んで喜ばせておけば良かったとも思う)。

 

読書は楽しくあるべきだ。外野がとやかく言うものではなく、漫画でもライトノベルでも、読みたい本を読めばいい。役に立つかも関係ない。紙か電子書籍かも問わない。

ただ1日に数ページ読み進めて、1ヶ月に1冊読んで、それで楽しいなら幸せな人生じゃないか。